鳥居・探勝:愛知県編

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砥鹿神社
砥鹿神社境内に建立されている鳥居の写真
場 所 ・愛知県豊川市一宮町社
建築年 ・天保13年=1842年
種 類 ・明神鳥居
材 質 ・石製(花崗岩)
形 状 ・高さ7.26m、幅5.5m、柱径67cm
文化財 ・豊川市指定文化財
備 考
砥鹿神社:由来・歴史・概要
砥鹿神社は大宝年間に文武天皇が大病を患った際、病気平癒を祈祷する為に本茂山(本宮山)から御霊が勧請され開創したと伝えられています。

格式が高く日本文徳天皇実録や日本三代実録に神階を賜った事が記され、延喜式神名帳に式内社として記載、中世以降は三河国一宮に格付けられました。

江戸時代に入ると幕府から庇護され、慶長7年には徳川家康から社領100石が安堵されています。

又、天保2年に北設楽郡設楽町田峯で出土した銅鐸が砥鹿神社に奉納され、三遠式銅鐸と呼ばれる突線文銅鐸の初現期の様相を有している、貴重な遺物である事から愛知県指定文化財に指定されています。

砥鹿神社:境内画像
砥鹿神社:拝殿 砥鹿神社:本殿 砥鹿神社:神門

砥鹿神社:付近地図(古地図風)
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伊賀八幡宮
伊賀八幡宮の境内に建立されている鳥居を写した写真
場 所 ・愛知県岡崎市伊賀町東郷中
建築年 ・寛永13年=1636年
種 類 ・明神鳥居
材 質 ・石製
文化財 ・国指定重要文化財
備 考
伊賀八幡宮:由来・歴史・概要
伊賀八幡宮は康平年間に発生した前九年合戦の平定を命じられた鎮守府将軍源頼義が戦勝祈願の為、氏神である石清水八幡宮から八幡神を勧請し開創したと伝わる神社です。

当初は三河国井賀に鎮座していましたが文明2年に松平家4代当主松平親忠が松平家の氏神として下井田の地に遷座しています。

その後は松平家、徳川家の祈願所として篤く庇護され、社殿の造営や修復が繰り返し行われています。

江戸時代には徳川家康の命日である4月17日に徳川将軍の名代として岡崎藩主が代参することが慣例となています。

現在の社殿の多くが寛永13年に、3代将軍徳川家光が江戸城普請監督を務めていた松平信綱に伊賀八幡宮社殿造営を命じ、当時の岡崎城の城主だった本多忠利が当社社殿造営の作事奉行となり、幕府作事方御大工鈴木長次が直接工事を手掛けた建物で、本殿、幣殿、拝殿、透塀、御供所、随身門、神橋、鳥居が国指定重要文化財に指定されています。

伊賀八幡宮:境内画像
伊賀八幡宮:拝殿 伊賀八幡宮:神池 伊賀八幡宮:随身門(楼門)

伊賀八幡宮:付近地図(古地図風)
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滝山東照宮
滝山東照宮の鳥居を撮影した画像
場 所 ・愛知県岡崎市滝町山籠
建築年 ・正保3年=1646年
種 類 ・明神鳥居
材 質 ・石製(花崗岩細目青石)
文化財 ・国指定重要文化財
備 考
滝山東照宮:由来・歴史・概要
滝山東照宮は正保元年に3代将軍徳川家光の命で開創された神社で、一説には滝山東照宮を日光東照宮(栃木県日光市)、久能山東照宮(静岡県静岡市)と共に日本三大東照宮に挙げる人もいます。

家光は祖父である徳川家康を篤く尊敬し、日光東照宮の大造営をはじめ、家康所縁の地に東照宮を開創し、家康の出身地でも岡崎城下にも計画しました。

酒井忠勝、松平正綱等が調査の結果、家康と関係が深い滝山寺の境内に遷座地に決まり壮麗な社殿が造営されています(滝山寺は家康が誕生した岡崎城から見て北東方向に位置している事から鬼門鎮護として庇護され、家康も境内に鎮座している日吉山王社の社殿を造営しています)。

正保3年に造営された本殿、拝殿、幣殿、中門、鳥居、水屋は国指定重要文化財に指定されています。

滝山東照宮:境内画像
滝山東照宮:拝殿 滝山東照宮:本殿・中門 滝山東照宮:燈籠

滝山東照宮:付近地図(古地図風)
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糟目犬頭神社
場 所 ・愛知県岡崎市宮地町字馬場
建築年 ・慶長10年=1605年
種 類 ・明神鳥居
材 質 ・石製(凝灰岩製:笏谷石)
形 状 ・高さ3.205m、幅2.55m
奉納者 ・本多康重
文化財 ・岡崎市指定文化財
備 考
糟目犬頭神社:由来・歴史・概要
・糟目犬頭神社は大宝元年に彦火火出見尊の御霊を勧請し開創したと伝わる神社です。

格式が高く、延喜式神名帳に式内社として記載されています。

室町時代に入ると足利将軍家が庇護し観応元年には初代将軍足利尊氏が社領100貫文を寄進しています。

江戸時代に入ると岡崎藩主から庇護され慶長7年には本多康重が本殿を造営し、慶長10年に鳥居を寄進しています。

一方、幕府からも庇護を受け慶長8年に徳川家康から社領43石が寄進されています。

糟目犬頭神社:付近地図(古地図風)
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菅生神社
場 所 ・愛知県岡崎市康生町
建築年 ・寛永15年=1638年
種 類 ・明神鳥居
材 質 ・石製(花崗岩・青石)
形 状 ・高さ2.71m、幅1.815m
奉納者 ・岡崎城主本多伊勢守忠利
文化財 ・岡崎市指定文化財
備 考
菅生神社:由来・歴史・概要
・左柱には「泰造立牛頭天王石之鳥居/寛永15戌寅年仲冬吉日良辰仰翼」、右柱には「武明長興此柱礎斉堅固矣/従五位下本多伊勢守藤原忠利敬白」の銘が刻まれています。

菅生神社は景行天皇の御代に日本武尊が菅生河畔から矢を放ち、神風に導かれ当地に突き刺さった事から聖地あると悟り、伊勢神宮(三重県伊勢市)から御霊を勧請し開創したと伝えられています。

神亀2年には山城国より稲荷大明神を観請、さらに永正14年に菅生川が氾濫し上流の額田郡宮崎に鎮座していた牛頭天王が流され当地に漂着した事から神意と悟り社殿が造営されています。

その後は徳川家康はじめ歴代岡崎城主から崇敬庇護されています。

菅生神社:付近地図(古地図風)
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菟足神社
場 所 ・愛知県豊川市小坂井町宮脇
建築年 ・元禄4年=1691年
種 類 ・明神鳥居
材 質 ・石造(花崗岩製)
形 状 ・柱径45p、柱間420p、総高518p
文化財 ・豊川市指定文化財
備 考
菟足神社:由来・歴史・概要
・菟足神社は古代穂の国の国造として当地を開発した菟上足尼命を奉斎する神社で、白鳳15年に秦石勝が平井の柏木浜から現在地に遷座しています。

延喜式神名帳に式内社として記載される等格式の高い神社で、歴代領主、藩主からも崇敬庇護されました。

菟足神社西参道石鳥居は貴重な事から豊川市指定文化財に指定されています。

菟足神社:付近地図(古地図風)
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神明社
場 所 ・愛知県長久手市神門前(旧北熊村)
建築年 ・寛文2年=1662年
種 類 ・八幡鳥居
材 質 ・石造(花崗岩製)
形 状 ・柱径90p、柱間204p、総高293p、笠木長360p
文化財 ・長久手市指定文化財
備 考
神明社:由来・歴史・概要
・神明社は少なくとも江戸時代前期には旧北熊村の鎮守だった神社です。鳥居は当社が天照大御神を祀っているものの八幡鳥居が採用されています。

軒札は江戸時代中期から12枚が現存し長久手市指定文化財に指定されています。

境内には4基の古墳が確認され、特に2号墳は7世紀に築造された円墳で貴重な事から長久手市指定史跡に指定されています。

神明社:付近地図(古地図風)
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前熊多度社
場 所 ・愛知県長久手市前熊志水
建築年 ・寛文元年=1661年
種 類 ・明神鳥居
材 質 ・石造(花崗岩製)
形 状 ・柱径85p、柱間202p、総高305p、笠木長397p
文化財 ・長久手市指定文化財
備 考
前熊多度社:由来・歴史・概要
・前熊多度社が所有する「前熊の山車」は現在の愛知県名古屋市東区出来町で所有していた山車を文化2年に譲り受けたもので、屋根には起くりがある破風で油障子で葺かれています。 床の周囲は高欄が廻りその下には「丸形の龍」の彫刻が施され、さらに腰の部分には龍柄の大幕で覆われています。 「前熊の山車」は貴重な事から長久手市指定有形民俗文化財に指定されています。

前熊多度社:付近地図(古地図風)
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大目神社
場 所 ・愛知県瀬戸市巡間町
建築年 ・宝暦5年乙亥9月吉日=1755年
種 類 ・明神鳥居
材 質 ・石造(花崗岩製)
形 状 ・高さ387cm、幅570cm
文化財 ・瀬戸市指定文化財
備 考
大目神社:由来・歴史・概要
・大目神社が何時頃開創されたのかは判りませんが、延喜式神名帳に式内社として記載されている大目神社とされます。

本殿の背後には大目神社古墳と呼ばれる7世紀頃に築かれたと推定される直径10m程の円墳がある事から、創建当初は古墳の被葬者の氏神が祀られていた可能性があります。

その後、天照大神の御子神八柱が祀られるようになり八王子社と呼ばれています。

鳥居は貴重な事から瀬戸市指定文化財に指定されています。

大目神社:付近地図(古地図風)
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山口八幡社
場 所 ・愛知県瀬戸市八幡町
建築年 ・延宝五年丁巳閏十二月吉日=1677年
種 類 ・明神鳥居
材 質 ・石造(花崗岩製)
形 状 ・高さ308cm、幅386cm
文化財 ・瀬戸市指定文化財
備 考
山口八幡社:由来・歴史・概要
・山口八幡社は承久2年に山田次郎重忠が開創したと伝わる神社です。

貞応2年に社殿が竣工すると延喜式神名帳に式内社として記載された小口神社の論社とされる山口神社が合祀されています。

境内地は三河国との国境に近い事から国境鎮護の社として篤く崇敬されています。

明治5年には郷社に列格しています。

山口八幡社:付近地図(古地図風)
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