鳥居・探勝:宮城県編 |
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亀岡八幡神社 |
場 所 | ・宮城県仙台市青葉区川内亀岡 |
建築年 | ・天和3年=1683年 |
種 類 | ・明神鳥居 |
材 質 | ・石製(稲井石) |
形 状 | ・高さ6m、上幅4.9m、下幅5.5m |
文化財 | ・宮城県指定文化財 |
備 考 |
亀岡八幡神社:由来・歴史・概要
・亀岡八幡宮は慶長7年に伊達家が梁川城主時代の崇敬社だった八幡宮の宮司だった山田清里、重之兄弟が御神体を仙台に遷し開創した神社です。
当初は仮殿でしたが、天和3年に仙台藩4代藩主伊達綱村の帰依を受け、現在地に遷座し社殿が造営されました。 境内からは仙台城下が見下ろせる景勝地で、奥の細道で仙台を訪れた松尾芭蕉も当社を参拝しています。 太平洋戦争末期の昭和20年の仙台大空襲に被災し、壮麗だった社殿の多くは焼失しています。当社が再興された際には一本杉伊達家の氏神の社殿を移築し本殿としています。 石鳥居は仙台東照宮・大崎八幡宮の石鳥居とともに仙台の三大石鳥居の一つに数えられています。 亀岡八幡神社:関係動画
亀岡八幡神社:境内画像
宮城県仙台市歴史:動画
亀岡八幡神社:付近地図(古地図風)
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大崎八幡宮 |
場 所 | ・宮城県仙台市青葉区八幡4丁目 |
建築年 | ・寛文8年=1668年 |
種 類 | ・明神鳥居 |
材 質 | ・石製(岩手県東磐井郡産の花崗岩) |
形 状 | ・高さ5.7m、幅(柱下部)5m、幅(柱上部)4.6m |
奉納者 | ・仙台藩4代藩主伊達綱村 |
文化財 | ・宮城県指定文化財 |
備 考 |
大崎八幡宮:由来・歴史・概要
・大崎八幡宮は平安時代初期に坂上田村麻呂が鎮守府胆沢城の鎮守社として八幡神を勧請し開創下と伝わる神社です。
中世は、奥州管領となった大崎氏が居城だった名生城(宮城県大崎市)の近くに遷座し篤く奉斎しています。大崎氏が没落し、伊達政宗が岩出山城を本拠地とすると城内に遷座し、米沢城主時代に崇敬していた成島八幡神社を合祀しています。 江戸時代には仙台藩主伊達家が崇敬し、慶長9年に伊達政宗が現在地に遷座、本城である仙台城から見て境内が北西方向に位置する事から乾(天門)鎮護としています。 現在も多くの社殿が現存し拝殿・本殿・石の間は極めて貴重な事から国宝に指定されています。 石鳥居は仙台東照宮・亀岡八幡神社の石鳥居とともに仙台の三大石鳥居の一つに数えられています。 大崎八幡宮:関係動画
大崎八幡宮:境内画像
仙台城(宮城県仙台市):動画
大崎八幡宮:付近地図(古地図風)
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仙台東照宮 |
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場 所 | ・宮城県仙台市青葉区東照宮1丁目 |
建築年 | ・承応3年=1654年 |
種 類 | ・明神鳥居 |
材 質 | ・石製(備前国大島産の花崗岩) |
奉納者 | ・仙台藩2代藩主伊達忠宗 |
文化財 | ・国指定重要文化財 |
備 考 |
仙台東照宮:由来・歴史・概要
・仙台東照宮は承応3年に仙台藩2代藩主伊達忠宗が徳川家康の御霊を勧請し開創した神社で、江戸幕府への配慮や徳川将軍家に対して忠誠心を示す為とも云われています。
社殿の造営には全国から棟梁や絵師、材料なども一流を求め当時の仙台藩の技術が結集した一大事業でした。 拝殿は昭和10年の火災で焼失したものの本殿(附:厨子)、唐門、透塀、隨身門、石鳥居が残され何れも国指定重要文化財に指定されています。 大崎八幡宮は仙台東照宮・亀岡八幡神社の石鳥居とともに仙台の三大石鳥居の一つに数えられています。 仙台東照宮:関係動画
仙台東照宮:境内画像
仙台東照宮:付近地図(古地図風)
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塩釜神社 |
場 所 | ・宮城県塩竈市一森山 |
建築年 | ・寛文3年=1663年 |
種 類 | ・明神鳥居 |
材 質 | ・石製(花崗岩製) |
奉納者 | ・仙台藩4代藩主伊達綱村 |
文化財 | ・国指定重要文化財 |
備 考 |
塩釜神社:由来・歴史・概要
・塩釜神社は武甕槌命と経津主神が当地を開発した際、先導だった塩土老翁神が住民に製塩の技法を教えた事が神格化され奉斎されるようになったものとも云われています。
ただし、不明瞭な部分も多く、主祭神として塩土老翁神が認められたのは江戸時代中期以降の事で、その名残により塩土老翁神が主祭神のはずなのに別宮で祭られ、合祭神のはずの武甕槌命と経津主命が本殿で祭られている珍しい信仰形式となっています。 律令制下で多賀城が築かれ陸奥国府が置かれると、特別待遇を受け祭祀料として壱万束が寄進されています。当時の陸奥国の一宮は都々古別神社(福島県)とされますが、中世以降は概ね塩釜神社が陸奥国一宮として認識されていたようです。 平安時代には奥州藤原氏、中世は領主と神主を併任した留守氏が庇護し、江戸時代には仙台藩主伊達家が崇敬し社殿の造営や修繕、社領の寄進や安堵を繰り返し行っています。 元禄2年には奥の細道で塩釜を訪れた松尾芭蕉と随伴した河合曾良も参拝しています。 塩釜神社は比較的火災が少なかった事から現在も本宮本殿(鹿嶋社)、本宮本殿(香取社)、拝殿、回廊、中門、随身門、別宮本殿、別宮拝殿、別宮回廊が現存し何れも国指定重要文化財に指定されています。 塩釜神社(宮城県塩竃市):関係動画
塩釜神社:境内画像
塩釜神社:付近地図(古地図風)
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諏訪神社 |
場 所 | ・宮城県角田市佐倉字諏訪脇南 |
建築年 | ・安政4年=1857年 |
種 類 | ・明神鳥居 |
材 質 | ・石製 |
形 状 | ・高さ約4.2m、笠石約5.7m |
奉納者 | ・伊具郡講中 |
文化財 | ・角田市指定文化財 |
備 考 |
諏訪神社:由来・歴史・概要
・諏訪神社は、延元元年に鎮守府将軍北畠顕家が信州諏訪大社から御霊を勧請し、当地に鎮座していた佐久良(佐倉)神社に合祀したのが始まりと伝わる神社です。
古代の当地は伊久国と呼ばれ、佐久良に官府が置かれていました。佐久良神社には国造だった豊嶋命(豊島命)が祭られていた事から重要な神社だった事が窺えます。 豊嶋命は国造本紀(先代旧事本紀)によると阿岐国造である飽速玉男命の十世孫にあたり、信夫・染羽国造等と同系で天湯津彦命を祖としているとされます。当社の周辺には当地域の代表するような前方後円墳が点在しており、伊久(伊具)国造の一族や関係者が被葬者だった可能性があります。 諏訪神社は文久3年に神祇道管領から伊具郡惣鎮守の宣旨を受けています。 諏訪神社:関係動画
諏訪神社:境内画像
宮城県角田市歴史:動画
諏訪神社:付近地図(古地図風)
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