鳥居・探勝:三重県編

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桑名宗社(中臣神社・春日神社)
桑名宗社(中臣神社・春日神社)
場 所 ・三重県桑名市本町
建築年 ・寛文7年=1667年
種 類 ・稲荷鳥居
材 質 ・青銅製
形 状 ・高さ6.9m、幅4.7m、笠木長さ8.1m、柱径57.5cm
製作者 ・桑名の鋳物師辻内善右衛門尉藤原種次
文化財 ・三重県指定有形文化財
備 考
桑名宗社:由来・歴史・概要
桑名神社は何時頃に開創されたのかは判りませんが、当初は旧桑部村に鎮座し景行天皇40年から45年にかけて宮町、宝殿町と遷座しその後現在地である本町に遷座したとされます。

一方、中臣神社は神護景雲3年に旧上野村にある山上に勧請され両社共に延喜式神名帳に式内社として記載されています。

正応2年に桑名神社の境内に中臣神社が遷座、永仁4年に中臣神社に春日神四柱が勧請合祀され春日大明神と呼ばれるようになりました。

江戸時代に入ると幕府から庇護され社領100石を寄進されています。

桑名石取祭の祭車行事は毎年8月第一土曜・日曜日に開催される行事で、氏子町内から祭車と呼ばれる車が出され、鉦、太鼓で激しく囃しながら曳き回されます。元々は夏の禊ぎ祓いの意味を持ち、清らかな石をとって祭地を浄めるものとの意味が込められたもので、「由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの」との指定理由を満たしている事から国指定重要無形民俗文化財に指定されています。又、「山・鉾・屋台行事」の一つとしてユネスコ無形文化遺産代表一覧表に記載されています。

桑名宗社:境内画像
桑名宗社:拝殿 桑名宗社:参道 桑名宗社:随身門

桑名宗社:付近地図(古地図風)
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都美恵神社
場 所 ・三重県伊賀市柘植町
建築年 ・寛文12年=1672年
種 類 ・明神鳥居
材 質 ・石製
形 状 ・高さ4m、幅3.5m
文化財 ・伊賀市指定文化財
備 考
都美恵神社:由来・歴史・概要
・都美恵神社が何時頃開創されのかは判りませんが、当初は霊山の中腹の位置する穴師谷に鎮座し「穴石大明神」や「穴師社」、「石上明神」と呼ばれていました。

その事から延喜式神名帳に式内社として記載された穴石神社の論社となっています。一方、柘植が出雲人が入植したとも云われている事からその氏神として石上神社を奉斎したとの説もあります。

伊勢風土記によると伊賀の安志の社に坐す神は出雲建子命、別名伊勢津彦命、別名櫛玉命と呼ばれ石造りの城を築いて、当地に鎮座したと記されています。安志とは「穴石」や「穴師」に通じる事から当社の事とされ、伊勢津彦命が地名「伊勢」の由来になったとされます。

寛永21年に大洪水で境内が大きな被害を受けた為、正保3年に現在地に遷座しました。

明治42年に柘植郷の総鎮守に格付けられ、大正11年に社号を都美恵神社に改称しています。

都美恵神社:付近地図(古地図風)
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宇流冨志禰神社(一の鳥居)
宇流冨志禰神社(一の鳥居)
場 所 ・三重県名張市平尾
建築年 ・安永7年=1778年
種 類 ・明神鳥居
材 質 ・石製
形 状 ・高さ6m、笠石の長さ7m、柱の周り1.9m、総工費43両
奉納者 ・名張藤堂家と領民の浄財で造立
文化財 ・名張市指定文化財
備 考
宇流冨志禰神社:由来・歴史・概要
宇流冨志祢神社が何時頃に開創されたのかは判りませんが、古くから格式の高い神社として知られ平安時代後期に編纂された延喜式神名帳に式内社として記載されています。

伝承によると祭神である宇奈根神は神武天皇が日本を建国した際に瑞穂の祈願するために祭られたと伝えられています。又、「倭姫世紀・神宮後鎮座記」に記された崇神天皇の御代に倭姫が巡幸し二年間奉斎した伊賀陰志守宮は当社の事とも云われています。

歴代領主や為政者から庇護され社運も隆盛しましたが、戦国時代の兵火で衰微しています。

その後、松倉勝重が再興し江戸時代には藤堂高吉をはじめ藤堂家が庇護しています。

宇流冨志禰神社:境内画像
宇流冨志禰神社:拝殿 宇流冨志禰神社:参道 宇流冨志禰神社:手水

宇流冨志禰神社:付近地図(古地図風)
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宇流冨志禰神社(石造鳥居)
宇流冨志禰神社(石造鳥居)
場 所 ・三重県名張市平尾
建築年 ・天和3年=1683年
種 類 ・明神鳥居
材 質 ・石製
形 状 ・高さ約6.6m、笠石の長さ5.28m、柱石間がさ約4.4m
・柱周囲1.53m
文化財 ・名張市指定文化財
備 考
宇流冨志禰神社:由来・歴史・概要
・倭姫世紀・神宮後鎮座記によると倭姫は当社を巡行したとされます。

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関神社
場 所 ・三重県亀山市関町木崎
材 質 ・石製
文化財 ・伝統的建造物(工作物)
備 考
関神社:由来・歴史・概要
・勧請年月不詳。関神社は伝承によると文明11年に加行山に鎮座していた鈴鹿山麓七郷の総社である笛吹大神社から御霊を勧請し開創されたと伝わる神社です。

その後、領主である関実忠が紀州熊野大社から御霊を勧請合祀し熊野三所大権現と呼ばれるようになりました。

関宿は東海道の宿場町として旅人や荷物の運搬業者、伊勢神宮参拝者等多くの人達が利用した事から、当社も参拝者が多数訪れたと思われます。

亀山市関宿が国の伝統的建造物群保存地区選定されると社殿と鳥居、石灯籠、狛犬等が伝統的建造物に指定されています。

亀山市関宿:町並み画像
亀山市関宿:町並み画像01 亀山市関宿:町並み画像02 亀山市関宿:町並み画像03

関神社:付近地図(古地図風)
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日永の追分
場 所 ・三重県四日市市追分三丁目
建築年 ・平成28年=2016年
種 類 ・神明鳥居
材 質 ・木製
文化財 ・三重県指定史跡
備 考
日永の追分:由来・歴史・概要
・鳥居の初代は安永3年に一志郡須ヶ瀬村出身の伊勢商人渡辺六兵衛が造立したのが始まりとされ、何度も建て替えが行われ、現在は平成28年に伊雑宮の鳥居を移建して建替えられています。

日永の追分は東海道と伊勢街道の分岐点で、現在は日永神社の境内に移転されている明暦2年に建立された旧道標には「京」「山田」「南無阿弥陀仏 恵心」と刻まれ、嘉永2年に建立された道標には「左いせ参宮道」「右京大坂道」「すぐ江戸道」と刻まれています。

日永の追分:付近地図(古地図風)
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