鳥居・探勝:群馬県編

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妙義神社
妙義神社
妙義神社
場 所 ・群馬県富岡市妙義町
建築年 ・享保4年=1719年
種 類 ・明神鳥居
材 質 ・青銅製
文化財 ・群馬県指定文化財
備 考
妙義神社:由来・歴史・概要
妙義神社は宣化天皇2年に開創されたと伝わる神社です。当初は鎮座地である波己曽山と同神と思われる波己曽大神が祭られ、波己曽神社と称していたようですが、後醍醐天皇に仕える権大納言長親卿が当地に住した際、波己曽山の素晴らしい景観を見て「明魂」と名付け、それが転じて「妙義」と変化し社号も妙義神社と呼ばれるようになったとされます。

妙義山の周辺には妙義神社や波己曽神を祭る神社が複数あり、当時の信仰の篤さや広がりが窺えます。

江戸時代に入ると歴代徳川将軍や加賀藩前田家等から篤く庇護され上野東叡山の宮、御代々御兼帯御親祭の神社となっています。

妙義神社本殿・幣殿・拝殿、唐門、総門 附 神餞所、透塀、棟札 、銘札、旧屋根銅瓦、紙本著色地蔵菩薩霊験記(仏界巻物土佐将監筆)が貴重な事から国指定重要文化財に指定されています。

妙義神社:関係動画

妙義神社:境内画像
妙義神社:参道・石段 妙義神社:波己曽社 妙義神社:仁王門
群馬県富岡市歴史:動画

妙義神社:付近地図(古地図風)
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新町諏訪神社
諏訪神社
場 所 ・群馬県高崎市新町
建築年 ・元禄15年=1702年・享保16年=1731年
種 類 ・明神鳥居(2基)
材 質 ・石製(2基)
奉納者 ・氏子
文化財 ・高崎市指定文化財
備 考
新町諏訪神社:由来・歴史・概要
新町諏訪神社は天正年間に笛木村の鎮守として諏訪大社から御霊を勧請し開創されたと伝わる神社です。

宝永5年に火災があった際、御神木から光が発し現在地まで一直線で指示した為、ご神託と悟り現在地に遷座しています。

新町宿は中山道の宿場町である事から、中山道を利用した多くの旅人や荷物の運搬者達から参拝されたと思われます。

鳥居の1基は元禄15年の銘のある新町最古の鳥居で、年号から笛木村から遷されたと思われます。もう1基は享保16年に氏子から浄財を集め5両で造立されています。

諏訪神社:関係動画

新町諏訪神社:境内画像
新町諏訪神社:拝殿 新町諏訪神社:本殿 新町諏訪神社:境内
群馬県高崎市歴史:動画
新町宿(中山道:群馬県高崎市)歴史:動画

諏訪神社:付近地図(古地図風)
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桐生天満宮
桐生天満宮
場 所 ・群馬県桐生市天神町1丁目
種 類 ・神明鳥居
材 質 ・石製
備 考
桐生天満宮:由来・歴史・概要
・桐生天満宮は景行天皇の御代に上毛野国造御諸別王が天穂日命の御霊を勧請し開創したと伝わる神社です。観応年間に現在地に遷座し、北野天満宮から菅原道真の御霊を勧請合祀し、桐生領五十四ケ村の総鎮守と定められ天満宮と社号を改めています。

天正18年に当地が徳川領になると、家臣である大久保長安が配され、長安の命により大野八右衛門は桐生天満宮の境内を起点として「桐生新町」を新たに町割りされ、あたかも門前町のような印象さえ受けます。

特に桐生が織物生産が盛んだった事から織物市の開催が許され、市の開催日には遠方からも織物を求め、大いに賑わったとされます。

桐生新町が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されると、桐生天満宮の社殿は伝統的建造物(建築物)、鳥居と石燈籠、狛犬は伝統的建造物(工作物)に指定されています。

桐生天満宮:関係動画

桐生天満宮:境内画像
桐生天満宮:拝殿 桐生天満宮:幣殿 桐生天満宮:本殿
群馬県桐生市歴史:動画

桐生天満宮:付近地図(古地図風)
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桐生天満宮
桐生天満宮
場 所 ・群馬県桐生市天神町1丁目
種 類 ・明神鳥居
材 質 ・石製
備 考
桐生天満宮:由来・歴史・概要
・桐生新町が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されると、桐生天満宮の社殿は伝統的建造物(建築物)、鳥居と石燈籠、狛犬は伝統的建造物(工作物)に指定されています。

桐生陣屋(群馬県桐生市)歴史:動画

桐生天満宮:境内画像
桐生天満宮:神橋・石橋 桐生天満宮:参道 桐生天満宮:社殿

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小暮神社
場 所 ・群馬県前橋市富士見町小暮
建築年 ・宝暦11年=1761年
種 類 ・両部鳥居
材 質 ・木製
形 状 ・高さ6.45m
奉納者 ・小暮村中
文化財 ・前橋市指定重要文化財
備 考
小暮神社:由来・歴史・概要
・小暮神社が何時頃に開創されたのかは判りませんが、当地の鎮守として篤く奉斎されていたとされます。明治40年に赤城山山頂に鎮座している大洞赤城神社に合祀されましたが、昭和23年に村人達の総意で現在地に再興しています。当初は八幡宮と号していましたが、周辺の神社を合祀し社号を小暮神社に改めています。

旧小暮一の鳥居は宝暦11年に赤城山の山頂付近に鎮座している大洞赤城神社の「一の鳥居」として小暮村の村民から建てられたもので、当初は村内にありましたが、天明4年に小暮の十字路、昭和40年に大洞赤城神社境内に遷され、平成6年に現在地に移転されています。

当社は譽田別尊を祭る八幡宮を前身である為、赤城神社とは余り関係が無いように印象を受けますが、大洞赤城神社に合祀されている間に何らかな関係を持ったのかも知れません。本殿は一間社神明造、銅板葺き。

大洞赤城神社(群馬県前橋市):動画
群馬県前橋市歴史:動画

小暮神社:付近地図(古地図風)
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赤城の百足鳥居
場 所 ・群馬県桐生市新里町板橋
建築年 ・天明2年=1782年
種 類 ・稲荷鳥居
材 質 ・石製(安山岩)
形 状 ・高さ4.4m、笠木の長さ6.25m
奉納者 ・新里村・粕川村・宮城村・赤堀町等5千人
文化財 ・桐生市指定重要文化財
備 考
赤城の百足鳥居:由来・歴史・概要
・赤城山の神と二荒山の神(日光二荒山神社)が戦場ヶ原(栃木県日光市)を巡り対立、赤城山の神は大百足に二荒山の神は大蛇の姿に変化しいつ終わることない激しい戦いが繰り広げたという伝説が残されています。

その為、赤城山の神と大百足が深く、当鳥居の島木には、約1.3mの大百足が陽刻され、周辺住民は百足を赤城山の神の化身、又はその使いとして殺すことはなかったと伝えられています。

赤城の百足鳥居:付近地図(古地図風)
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